中谷翠泉-墨表現

金文・甲骨とは

金文とは
青銅器に書かれている文字を「金文」と言います。
新品の青銅器は、金色に輝いていました。今、博物館等で見る青銅器は、青黒い色をしていますが、それは錆びた色です。
青銅器が生まれたのは殷代の中期ですが、文字と言われるはっきりしたものではありません。
金文は、殷時代後期、甲骨文と同じ頃から見られます。そして、西周時代に最盛期を迎えます。

<図象>
氏族の紋章のような図があります。図象は文字ではありませんが、文字を含んだ図象もあります。
<青銅器の用途>
ほとんどが、王や有力氏族の廟に安置して、祖先の祭祀儀礼に用いるために作られたものです。
<内容>
殷時代末期から西周時代にかけては、王が功績をたたえて金品を与え、受けた人物が祖先のために銅器を作り、子孫が永く大切に伝える事を願うと言う文が多くあります。

甲骨とは
亀甲や獣骨に刻してある文字を甲骨文といいます。その内容は、ほとんどが占卜の記録ですので、卜辞ともいいます。文字としては、一見原始的な字形を残しているものがありますが、すでに会意文字や形成文字が相当にあり、仮借の用例も多くあって、かなり発達した文字です。現在の漢字の原形が見られ、言語は漢語です。現在の所、複雑な内容を記録出来る漢字のもっとも古いものです。
河南省安陽県小屯村一帯のいわゆる殷墟から見つかったものが大部分です。その年代は、殷代後期にあたり、陰王朝が滅びるまでの二百数十年間のものです。殷の滅亡した年がはっきりしませんから、正確に言いがたいのですが、およそ前11世紀までと考えられます。
甲骨文の発掘と研究に大きな功績を残した董作賓(1895~1963)は、甲骨文資料を五期に区分しました。 この区分は、基本的には占卜を担当した人物(貞人と呼ぶ)の関係によって整理したもので、現在も研究に利用されています。また、その五期には書風の相違を含んでいます。
甲骨文は刻してありますが、刻す前に書いておいたと考えられます。書いた人と貞人は別 です。書いた人と刻した人も別人かも知れません。発掘された甲骨片は、多量 にあって十数万片と言われていますが、同筆と思われるものがたくさんあり、同文を刻したものもあります。



  1. 2011/10/28(金) 12:06:13|
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